Violin演奏 独学のすすめブログ

「Violin演奏 独学のすすめ」の著書の内容に関係する追加など

演奏家の矜持、音楽への愛

 サティは、音楽家を、二種類に分けていたと言われています。一つは詩人、もう一つは音楽家。彼自身詩を書いていますが、そういう意味の詩人ではなく、素晴らしい芸術家を意味しており、音楽家というのもいわゆる職業音楽家のことで、あまりいい意味ではないのです。どういう基準で分けていたかは彼自身の音楽観ということになりますが、私も作曲家や演奏家を普遍的な基準で区別できると思います。

いわゆる名手は、名曲とは思われていない曲を弾きますが、そこに他の演奏家とは違う別の本質的なものを聞かせます。カザルスの「鳥の歌」を同じように上手に演奏する演奏家はアマチュアを含めてそこら中にいますが、決して弾けない、という演奏家も大勢おり、それはカザルスの演奏が持つ特別な価値にあります。

 カザルスを出してしまうと、凡人には無理と思ってしまいますが、そうではありません。それは人前で演奏できるレベルにあるならば、誰にでもできることなのです。決して難しいことではありません。しかし、それを言葉で説明するのはなかなか難しいです。それはまず、演奏者の姿勢に関係します。ある姿勢、曲への向かい方、それに特別なものが加わることで、演奏そのものが全く変わります。例えば、作曲家への尊敬、曲への敬意、それを持っている、と言えたとしても、それで演奏自体が変わるということは言えないでしょう。しかし、それを持つことで持たない前に比べて演奏ががらり変わるものがあります。人によっては、それを尊敬、敬意という同じ言葉で呼ぶかもしれませんし、音楽の尊厳、演奏家の矜持、あるいは愛、と呼んでもいいかもしれません。それを持って演奏するだけで演奏が全く異なる価値を持つようになります。

 そういうものがあると知らないと、そんなもの存在しない、ということになります。しかし、否定してそれを求めなければ決して知ることはできません。かといって、そういうものを探しても簡単には見つからないでしょう。しかし、大家の演奏、そして、大家に限らず本当にいい演奏というものから自分の流れてくるものの中にそれはあります。そうして、徐々にその存在を知ることができます。それは常に演奏の中にあります。また、曲に真剣に向かい合い、曲が秘めている全ての表現を求めることでも見つかるでしょう。それは演奏家がイメージする理想的な演奏の中にもあります。


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