Violin演奏 独学のすすめブログ

「Violin演奏 独学のすすめ」の著書の内容に関係する追加など

自信を持って演奏しても、良くない演奏とは

 緻密な曲分析を行い、演奏する、それはかなり期待できる演奏のはずですが、あれ?という場合はよくあります。ブラームスは大好きで尊敬もしている、となれば期待できるはずですが、あれ?という場合もやはりあります。前回の演奏が非常に良かった、だから期待できるはずが、あれ?という場合もあります。

 上手であれば、自分あるいは自分達の演奏の出来というものを判断することができます。そういう高いレベルの演奏家であっても、こういう期待外れということが起こります。それは、演奏の客観的な観察というのは、演奏者自身には原理的に不可能であることに起因します。そして、どんなに客観的な観察をしたとしても演奏全体の観察という点では、必ず欠ける部分があります。ですから、まずは、客観的な観察は聴衆からも意見してもらうことと、録音などで自分でも可能な限り観察することがとても大事なのです。

 しかし、そういうことを繰り返しているうちに自分の演奏の出来を客観的に観察しなくても、それなりに判断できると勘違いしてしまいます。まだ、自分では気づいていない部分が多いのに、そのことを無視してもいいと思うようになってしまうのです。それはいつも同じ聴衆、という場合には直ちに起こります。聴衆も善意で厳しい演奏評を言うことはありません。聴きに来たのだから演奏を楽しみたいと思うので、多少気になる部分があっても演奏を楽しむようになルものです。とkろが、演奏者の方もそれで問題がないと勘違いをします。なぜなら、自分は曲分析をきちんとしている、あるいは演奏テクニックは自信がある、あるいはこの曲について強く敬意を持ったいるなどの、演奏を良くする理由があるからです。

 もう一つの勘違いのよくある理由は、最初は表現というものに注意して演奏しますが、一度良い演奏をすると、その演奏をまたやろうとします。すると演奏が前と変わってしまうのですが、そのことは客観的に観察しない限り、演奏者本人にはわかりません。具体的にいうと、一度表現に注意して音を出した時に、とても良い、そういう風に演奏するなら完璧、と言われます。すると、次からは同じ音を出そうとします。しかし、最初は表現に注意していたのに、次からは表現ではなく、音を作る技術に注意が向いてしまいます。表現よりも別のことに注意が向いてしまうのです。これによって演奏が変化し、表現は何処かへ行ってしまうのです。

 こういうことからいろいろな注意事項をリストとして作ることができます。例えば、前と同じような演奏をするのではなく、もっと良い演奏を目指せとか、聴衆の評価だけで満足してはいけないとか、満足こそが上手になる最大の障害であるとか。しかし、このようにあまり記述だけだと、それは本来の問題から離れて理解する予知ができてしまいます。ですから、大前提として、原理そのもの、つまり、演奏者の内からの視点と聴衆の外からの視点は原理的に異なるものである、ということを忘れないことが必要です。

 最後に、内からの視点と外からの視点の違いの、別の例を述べます。一枚の絵があったとします。それを描いた画家がその絵に見ているものは、他者がその絵に見るものとは異なります。これが内と外の視点の原理的な違いです。


リンク
「バイオリン演奏 独学のすすめ」の販売サイト
ヤフーオークションフリマ
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v575540131?notice=clols