Violin演奏 独学のすすめブログ

「Violin演奏 独学のすすめ」の著書の内容に関係する追加など

演奏時の心構え

演奏時に特別な心構えは必要ないと思っている人は多いでしょう。自分はきちんと演奏できるし、それに必要な練習はきちんとしている、と思っているとそうなります。ただし、演奏においてはどういう気持ちを持って演奏するかによって、演奏が大きく変わることがある、ということを知っておく必要があります。それを知っていれば、どういう風に演奏に臨むべきか、ということもなんども考え、また自分なりに一定の結論を持っているようになります。

カラオケは楽しいというのは、今の人々には当たり前のことかもしれません。しかし、合奏をずっとやってきた人間には、それはやや異なりますが、そのことはここの話には本質的なものではありません。カラオケの楽しさはいわば娯楽です。上手に歌いたいということではなく、楽しむことが大事です。友人達の中にはうまく歌えない人もいますが楽しむことには全く問題ありません。モーツァルトの音楽を聴くのも楽しいことです。これも全ての人に言えることではないのですが、クラシックに馴染みのない人にもモーツァルトは楽しめます。さて、ここで、このカラオケとモーツァルトの音楽の楽しみには、根本的な違いがあります。その違いは、どちらが良いか悪いかとか、どちらが高尚で幼稚かとか、人類にどれだけ価値があるかとか、そういうことには全く関係ありません。この根本的な違いは、クラシック音楽を好きな人にはわかるでしょう。それによってクラシック音楽から離れなくなるからです。

クラシック音楽に馴染みのないある友人が、別に気合いを入れて弾いているわけでもない、ベートーベンの悲愴の第2楽章の演奏を聴いて涙を流し、立っていられなくなりました。本人はどうして涙が流れ出してきたのかわかりませんでした。同じような体験をした人を他にも知っています。音楽にはこういう力があります。それは単に感動という言葉で表すと偏った見方になるでしょう。よく演奏しに行く馴染みの人々の前で、ロンドンデリーの歌を演奏したことがあります。終わっても拍手が全く来ません。つまり、今までであれば演奏の出来にかかわらず、終わったら拍手をしてくれますが、それを聴衆がすっかり忘れているのです。友人によると、この曲ではよくあることらしいです。音楽がそうさせたのです。

クラシック音楽に限らず、音楽というものは、人に大きな働きかけをします。それは宗教的には聖なるという言葉で表せるでしょうし、科学的には潜在意識領域にある感情の元となる部分、いわば心の琴線というものの共鳴と言えるかもしれません。心には調和がもたらされ、それは人々を良き方向へと導きます。演奏は価値を持った尊厳ある行為となります。演奏する際、このことを絶対に忘れてはいけません。音楽は単なる楽しみや娯楽だけではなく、別の価値が加わり、全く同じように見える演奏でも全く異なる鴛鴦となります。例えば、今まで普通に演奏していたモーツァルトが天上の音楽となります。バッハの敬虔さ、ベーtーベンの強さ、メンデルスゾーンの輝き、例えば、そういうものが表現されるようになります。そういう価値はテクニックの問題だけでは表現できないものです。単なる娯楽であった音楽が、価値ある芸術となります。

 


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