Violin演奏 独学のすすめブログ

「Violin演奏 独学のすすめ」の著書の内容に関係する追加など

商業主義とは

施設などで演奏して、みなさんに喜んでもらった、という話はよく聞きます。また、演奏会というものは、お客さんが喜んでくれればいいのだ、という考えの方もいるでしょう。クラシック音楽以外でも、このことは同様にあります。音楽活動も一つの経済活動ですから、料金に対してお客がそれに対応するものを受け取る、それが商売であり、それ以上何も考える必要はない、というのが商業主義というものです。

人が他人との関わりという点で毎日行っていることは社会活動と言いますが、社会活動は政治、経済、文化の三つに分類することができ、どれも大切な活動です。音楽は経済活動であるだけでなく、本来、それは文化活動です。簡単な例を挙げれば、単なる例ですが、1000円でラーメンを食べに行くか、それとも演奏会に行くかと迷った時、少し空腹を我慢してでも演奏会に行くのは、それに見合った文化活動の体験があるからです。特に音楽はその時に聞かなければ、同じ場所同じ演奏者でも二度と同じ演奏は聞けません。食事も、このシェフの作る料理はその時に食べなければ二度と食べられない、という場合もありますが、それは決して空腹を満たすための食事というよりも、むしろ美食という文化的な価値を求めているのです。学生相手に味より量を重視している、という店でも長く続いているところは、学生に文化的な価値を提供しているものです。

商人は、自分の提供する商品の価値をよく知っていて、それに見合った代金を要求します。しかし、色々な状況があり、単に良いものを提供してもなかなか儲からない場合もありますから、そこが商売の難しさと言えるでしょう。それに対して商業主義というのは、単にお客が欲しいものを提供すればそれで良いと考え、儲けというものによってしか価値を認めません。つまり多少問題がある商品でも、お客が欲しければ売れば良いという考えです。実際お客はそれで満足するのです。

音楽では演奏が商品となりますが、その価値に注意せず、単に人が集まるかどうか、お客が満足しているかどうかだけに注意する商業主義においては、次第に商品の価値は落ちて行きます、演奏というものは、そのレベルを維持するということはなく、上手になるか、下手になるかの二つの道しかありません。それは常に流れる川にいるようなものなのです。だから、演奏の中身について注意を払わなくなると、それは時間とともにどんどん下手になります。演奏家がお客が来てくれるからいい、喜んでくれたからいい、という商業主義に陥ってしまったら、その演奏は質が落ちて文化的価値はなくなって、むしろ悪影響を持つものとなり、世の中は堕落への道を進むことになる、と言ってもいいでしょう。実際に人を暴力的な思考へ導く音楽というものも存在します。音楽は感覚から感情へと働きかけるものですが、その感情から思考へと影響します。悪い感情が生じるようになると、そこから思考も堕落してしまうのです。

聞き手が喜んでくれることは結果としてはOKなのですが、それを目的しては商業主義に陥ることになり、常に自分の演奏の文化的価値、つまり演奏の質について注意することが必要です。このことが商業主義を排除することになります。これはプロアマ関係なく、全ての音楽活動において、大事なことです。


「バイオリン演奏 独学のすすめ」の販売サイト
ヤフーオークションフリマ
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v575540131?notice=clols